1976〜1978
まずは容器の形から—開発をリードしたマーケティング部。
マーケティング部が決定した容器のコンセプトに基づいて開発した「日清焼そばU.F.O.」と「日清のどん兵衛」は、ヒットブランドになった。
すべての発想の起点を「消費者のニーズと社会的な要請に応えること」を目的として、日清食品がマーケティング部を設置したのは、1976 (昭和51) 年4月1日のこと。安藤宏基取締役開発部長 (現・日清食品ホールディングスCEO) が初代部長に就任した。
マーケティング部が最初に取り組んだのは、新しいカップめん容器の開発であった。当時、各社からカップ焼そばが発売されており、たて型や弁当箱型容器の製品が人気を集めていた。
日清食品も新しいカップめんの開発を進めることになり、マーケティング部では、容器のコンセプトを「食器としては最も常識的な丸型で統一すること、焼そばは皿型、うどんはどんぶり型、ラーメンは中華どんぶり型とする」ことを決定した。これは、日本人の食習慣をそのまま受け継いだもので、誰もがおいしいと感じることのできる容器の形といえた。
こうして、1976年5月21日に「日清焼そばU.F.O.」が、同年8月9日に「日清のどん兵衛きつね」が発売された。この二つのブランドがヒットし、ロングセラーを続けている一つの要因は、容器形状のコンセプトを明確にしたことにある。